「真骨頂」とは、《そのものが本来もっている姿。真面目(しんめんもく)。》とある。
「真」は強め。「こっちょう(骨頂)」は、『大言海』によれば、「骨張(ほねば)るの字の音読」である。この「ほねばる」は「意地を張る」というような意味で、「骨張」はここから「張本(=大もと)」の意味に転じたという。この「張本」から「本来の姿」と転じたものか。「真」は強め。「こっちょう(骨頂)」は、『大言海』によれば、「骨張(ほねば)るの字の音読」である。この「ほねばる」は「意地を張る」というような意味で、「骨張」はここから「張本(=大もと)」の意味に転じたという。この「張本」から「本来の姿」と転じたものか。骨の髄まで至り、意地を耕す。「意地の前に、骨を張る」必要があり、骨張で、神髄に達する「根本原理」があるように思われる。「根本原理」は、「骨本原理」です。
骨は惚でもあります。「惚」は、次のように訓ずる。
真髄、神髄に達するというのは。そういうことです。ほうけ-る
ほ-れる
ぼ-ける
とぼ-ける
髄という字は骨髄、歯髄などそれぞれの機能を支えるハタラキをしている。
気骨を養う
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