第2回シニアメンバー懇親会

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2017年8月20日日曜日

死についての「思想」を考える

【正論】死についての「思想」を考える 京都大学名誉教授・加藤を読んで、考えた。
今、SSBCで『老いの整理学』ならぬ『老いの生理学』を実施している。
なぜなら、生理に従えば、自然に整理されることになる。自治である。
治癒とは、「癒す」の意味は、「病気が治る」とある。しかし、「癒着」とは、「本来離れているべきものがくっつくこと。多く、好ましくない状態として批判的に用いる 」とある。過ぎたるは及ばざるがごとしで、過ちに至る。面白いのは、「腹癒」である。何と読むか?”はらいせ”、つまり、腹が癒着すると”はらいせ”(怒り・恨みを他の方面に向けて晴らすこと)しなければなくなるということだ。

周りを見ると、繁栄、労働力の確保、生、活動と勿論プラス思考である。
しかし、『死』をプラス思考で捉えたことがあるだろうか。
オープン、ポジティブ、フェアをマインドセットとする私は、『死』を肯定的に捉え、考えてみたい。人生の大団円が死なのであるから、死は成果なのである。
その死を価値あるものにできるかどうかである。

死は、一瞬であり、生には量があるが、死には量はない。
老年とは、死を考えることができる年になったということである。
生を味わったことで、死への準備ができたということである。
それはつまり、永遠への扉に手がかかっているということである。

問題は、生を味わったかということである。
生を味わったもののみが、死を受け容れることができる。
人生を味わったもののも、人の死を味わうことができるのだ。
人性を生きた者のみ、人性の死を迎えることができる。
つまり健康に死を迎えることができるのである。
「生老病死」、「喜怒哀楽」、人間を生きたか?
生きるということは、死ぬるということなのである。
体が働けば、心は落ち着く、体が働かなければ、心は落ち着かない。
動くから、心が生まれる。中心はあるのではなく、生まれるのである。
安定を維持するには、心が働く(生まれる)。心が安定、定着するには、働き続けることである。(不安定の安定)心身はそのような関係にある。それが機能化されたのが脳である。
だから脳は常に安定を保つために、働き続け、悩むのである。
そして脳が体の一部でその働きを始めた時、体との間に中心が生まれた。それが心である。心は脳と体のバランサーなのである。要するに中庸が心なのである。
心は中庸に生まれる。中庸である。中庸は、心が語っていることなのである。
参考文献
大学中庸
大学中庸スライド

健康とは、無理をしないことである。
原理原則に基づいて、遊里で、有理に生きることなのである。
いずれにせよ、あくせくして、争い、人を傷つけることに何の意味もない。
「活きているときは、イデオロギーで争っているが、死んでしまえば、ほぼ同じ考え方である。」と。
統一理論は、そこに落ち着くことになる。健やかに死ねるか???
死は有無を言わせない。公平な裁きである。
生産によって生まれ、清算によって死ぬるのである。
凄惨な死にならないように!!
算命学にでも学んで。

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