第2回シニアメンバー懇親会

第2回シニアメンバー懇親会

2019年12月16日月曜日

青木さんから「一枝通信」が転送されてきた!

余りにも内容が濃いので転載します!!
12月20日です!! 私は出席です! 申込を済ませました。
◎1週間後に迫りました
 トークの会「福島の声を聞こう!vol.33」は、来週の金曜日です。
申し込み受付中です。
日 時;12月20日(金)19:00〜20:30(開場は18:00)
場 所:セッションハウス・ガーデン(新宿区矢来町158 2F)
参加費:1,500円(参加費は被災地への寄付とさせていただきます)
主催・お問い合わせ:セッションハウス企画室Tel:03−3266−0461
    mail@session-house.net     http://www.session-house.net/
今回は開催時刻が従来と少し違っています。
開場時刻が開会の1時間前になっていますが、ミニミニ写真展の同時開催なのです。
横山さんが撮った事故当時と現在の飯舘村の写真を展示しています。
もしかしたら、豊田直巳さんの写真も。
そして、いつもは21:00が終了時刻ですが、今回は20:30とさせていただきます。
横山さんのお帰りの列車の都合です。
当時、飯舘村役場で働いていた横山さんから、今の飯舘村を語っていただきます。
皆様のご参加をお待ちしています。

◎悲しいお知らせです
 藤島昌治さんが逝去されました。
12日の早朝、電話が鳴り、この日の未明に亡くなられたことを知らされました。
 藤島さんが、このトークの会でお話しくださったのは2015年6月28日の15回目の会でした。
私が初めて藤島さんにお会いしたのはそれより以前の2012年の冬でしたが、藤島さんは南相馬市鹿島区にある寺内塚合第2仮設住宅の自治会長さんをしておられました。
自宅は南相馬市小高区で避難指示区域にあり、仮設入居まで新潟三条市に避難し2011年10月に仮設住宅に入居されたのでした。
 この仮設住宅は他とは違って、催し物のある時ばかりでなく常日頃にも、集会所に男性の姿をよく見ました。
他の仮設住宅ではイベントの時には男性たちも出てくるのに、いつもは集会所でお茶を飲みに集まっているのは女性たちばかりでした。
ここでは藤島さんが、男性たちも集まりやすいように、いろいろなゲームや催事を工夫していたのです。
また仮設住宅に隣接する休耕畑を借りて、子どもの遊具を作り、ヤギを飼い、そんなこともこの仮設住宅に明るい雰囲気をもたらしているのでした。
また、ボランティアの力を借りながら夏祭りも続けていました。
仮設住宅で暮らす人たちが、少しでも明るく日々を過ごせるようにと自治会長として心を配りながら、仮設を退去した後の暮らしを慮って、シェハウスを構想し市に働きかけてもいたのです。
このトークの会でも署名集めをし、皆さんにもご協力いただきました。
また、藤島さんは詩を書く人でもありました。
トークの会では、藤島さんの詩を朗読させていただきました。
 2016年7月に小高区が避難指示解除になり、その頃はもう多くの人が仮設住宅を退去されていましたが、藤島さんもこの時期に塙町の古民家を終の住処と定めて転居されました。
私は塙町をお訪ねしたいと思いながら伺えずに、時折電話でお話しするだけで過ぎていました。
 今年の9月末のことでした。
久しぶりに藤島さんから電話をいただいて、「お元気ですか?」と問うた私に返ってきたのは、「いや、ステージ4と言われました。お世話になったので一言お礼が言いたくて、お声が聞きたくて電話をしました」と。
南相馬の市立病院に入院されているとお聞きして、お見舞いに伺う約束をしたのです。
ところが行こうと思った時に台風19号が襲来し、その後も福島から南相馬への道路が不通になっていって、すぐには行けませんでした。
不通になっていた道路が再開したその日に、ようやくお見舞いに行けました。
「新しい詩を書かれていますか?」とお尋ねすると、「書いています。もうじき新しい詩集が出ますが、今度はハードカバーにしてもらうので楽しみです」と答えが返りました。
お見舞いに原稿用紙と綺麗な色のインクで力を入れずとも書きやすいボールペン、チベットの薬師如来のお守りを持って行きました。
点滴につながれていて、経口栄養は摂れていない状態でしたが声に力がありました。
 帰宅してから数日後に、見舞いへの礼状が届きました。
「お薬師様のお守りを、ありがとう」と書かれていました。 
 11月になって、また病院へお見舞いに行きました。
病室が移動していて、「いま、退院してから行くところを探しているんです。病院は長く入院できないんですね。介護施設を探しています」とおっしゃる藤島さんでした。
食事も摂れるようになって、お腹に力が入るようになりましたと言って笑う藤島さんでした。
 11月の終わりに、ハードカバーの新しい詩集『色のない街 フクシマからあなたへ』が、出版社から届きました。
私は12日までの飯能での写真展が済んだら、またお見舞いに行こうと予定していたのです。
この本を持って行って、サインをしていただこうと思っていたのです。
 訃報が届いたのは12日の早朝でした。
  シェアハウス始末記   (「色のない街 フクシマからあなたへ」から)
原発事故の
避難解除の時が近づいて
爺さんも婆さんも
右往左往する
仮設住宅
困り果てて
誰彼となく
「どうする」
「何処へ行けば」と
計り知れない
悩みが行き交う
たまりかねて
待ってろ!
「シェアハウス」を造ってやる と
力んで
視察だ
署名だ と
駆けずり回り
請願や陳情を
繰り返し
果ては
新聞なんかにも取り上げられ
市議会でも採択された
それでも
「シェアハウス」は
期待を裏切った

後は 民間の力を
頼るしかないと
果敢に挑んでもみるが
多くの支援を受けながらも
結局のところ
徒労に終わる
爺さんも婆さんも
「もう いいよがんばったよ!」と
慰めてくれて
チリジリに仮設を去った

年寄りたちの事を
案じながらも
申し訳なさだけが残った

ボクは一人
古民家で
「ウエルカムホーム・心長閑」と決めて
いわゆる
陽だまりの住人となった

  ありがとうしかいえない   (同じく)
会いに来てくれて ありがとう
手を握ってくれて ありがとう
いつも力になってくれてありがとう
いつも優しくしてくれてありがとう
一緒に笑ってくれてありがとう
一緒に泣いてくれてありがとう
いつも応援してくれてありがとう
ありがとうしか言えない
    ありがとう

 藤島さんのご冥福を祈ります。                いちえ

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