第2回シニアメンバー懇親会

第2回シニアメンバー懇親会

2020年1月3日金曜日

未病ケア推進に当ってーーデザイナーやゲーム会社も

医療のプレイヤーには誰でもなれる。デザイナーやゲーム会社も巻き込んだ仕組みづくりを

「ミニ肝臓」の発見というブレークスルーをもたらした武部貴則(32)は、再生医療研究で日米を行き来する一方で、新しい領域から社会変革にも挑む。自らが打ち立てた「広告医学(AD-MED)」というコミュニケーション研究だ。「生活習慣病を抱える現代人が、楽しみながら生活習慣を改善したくなる仕組み作り」を試みている。

窮屈な医学から思考を解放する

横浜市立大学にある「コミュニケーション・デザイン・センター(YCU-CDC)」は、見た目にはアートの工房か、プロトタイプを次々と生み出す企業の開発部門の景色だ。センター長の武部自身がぶっちゃけてこう話す。
「ここは組織上は医学部の中に設置されているけれど、医学部には見えないとよく言われます。ここでやっていることは、明らかに従来の医学部のくくりとは違うから。他の医学部の人からしたら僕らのやってることって、わけわかんいっすよね、きっと(笑)」

壁の棚に並ぶのは、センター発の「珍品」ばかり。

ウエストの太さを感知し、色の変化で肥満を警告する「アラートパンツ」。ウイルスを幾何学模様のようにデザインして感染予防につなげる「知らせるマスク」。IDタグが埋め込まれ、特定の場所に行くとメールが届く「歩きたくなる靴」……。

これらは、ヘルスケア分野に人々に行動の変容を促す広告やデザインの手法を取り入れる「コミュニケーション・デザイン」により生まれたプロダクトだ。

全面がホワイトボードになった壁に、武部はおもむろにペンを滑らせていく。描き上げた概念図の中心には、「肝臓病」「肝臓の課題」という2つのキーワード。そこから放射状に線を伸ばし、関連づける項目を書き足していく。武部は図を指差しながら、「このセンターで僕らがやりたいのは、窮屈な医学のくくりから人々の思考を解放すること」と語り出した。ないっすよね、きっと(笑)」

「食器」や「着る服」も医療の処方箋

「例えば肝臓に問題を抱えた人がいるとしましょう。医学のくくりだと、この肝臓病はこのタイプだからAという薬で治しましょうとか、遺伝子に異常があるから、将来はゲノム編集技術で解決できるかもしれないとか。病気の因数分解から、『じゃあ、テクノロジーをあてがいましょう』みたいな発想になりがちです。
でも、そもそも肝臓の問題は、それぞれのケースから抽出される課題の問題として捉えられるべきで、その処方箋は無限に考えられるはず。ナトリウム食を抑えるという課題だったら食器や運動促進や着る服など……」
武部は、「医療はもっと、医学部や医学書という枠組みから自由になっていい」とも言う。
「世の中には既に、こんないいモノあるじゃん」「こういう風に使い方やデザインを工夫すれば、人の意識は自然に変わって行動も変わるんだね」といった、課題を因数分解して解決法を創発していくアプローチが、武部の提唱する「広告医学」。従来の医学書にはない、「コミュニケーション・デザイン」による医療課題の処方箋なのだ。
だから、YCU-CDCの常勤職にはデザイナーも在籍する。アドバイザーとして、世界的に著名な医学研究者や、広告クリエイター、クリエイティブアートの専門学校教師、ベンチャーキャピタリストをはじめ、多彩な人材が名を連ねる。

スタートは“妄想”でいい

武部はこうした社会的活動を始めて10年になる。広告医学の概念自体は大学2年生の頃から考えていたのだが、最初は鳴かず飛ばず。「一時的にはパッと話題になるんだけど、全然広まらないし続かない」のが悩みだった。
学生主催でシンポジウムを開いても、いっときNHKや全国紙でニュースになって、それで終わりに。
「持続的に世の中へ実装するには、“仕組み化”していくことが必須だなと」
学部3年の時、一つの試みで成果が得られた。武部が市民への“医育”活動を横浜市に提案したところ、政策として通ったのだ。それが地元の小中学校に医学科や看護科の学生が出向く訪問授業のプロジェクトであり、今も継続している。こうした“仕組み化”の決定版として2018年、武部は「新しい医療を定義する拠点」と位置づけたYCU-CDCを、正式な組織として発足させた。
武部はスタートは“妄想”でいいと、少年のような笑顔を浮かべてこう話す。
「妄想からできる医療(笑)。僕も日々、いろいろ妄想しています。駆け出しの芸人さんとコラボして、全国の病院に笑いと元気を届けよう、とかね」

「ストリート」発の“医療プレイヤー”を

4年前には電通と組み、横浜シーサイドラインの駅の階段にトリックアートをデザインした「上りたくなる階段」を作った。狙いは運動不足解消のため、人々の動線をエスカレーターから階段に変えること。データ解析する実証実験も行い、日を追うごとに階段を利用する人が増えていることも証明できた。
 「階段を1段上がるたびに、もっと先の絵を見たくなる。これも、クリエイティブな手法による処方箋の一つ」と武部は言う。
 その後、大学病院の待合室をアートの空間にして和んでもらおうと、広い天井に曽谷朝絵の幻想的なアニメーション作品を投影するなど、数々の仕掛けを展開している。
 最近では、製薬会社やゲーム会社の人とフォーラム会場で交わした何気ない会話がきっかけで、「医療×ゲーミフィケーション」というコラボ企画も生まれた。それから数カ月後の2019年8月には、横浜市大、東京芸術大学、アステラス製薬の産学連携によるバーチャルな枠組み「Health Mock Lab」を発足。
そんな猛烈なスピード感も、武部ならではだ。
「アイデアを着想したら、大事なのは社会に提起するということ。継続していくためには、パートナーとなる別のプレイヤーを見つけ、インスパイアし、巻き込んでいく」
教育事業にも着手する。
この7月からは「ストリート・メディカル・スクール」を開校。医療を「ストリート」にまで開く意味合いで名付けた。クリエイターと医療従事者を志す学生たちが集い、毎月東京で特別授業を行う。
「従来の医学部からズレた人たちをミックスさせる学校で、これも、“仕組み化”の一環」と武部。巣立った人材が各々の現場から“巻き込み”を実践し、新しい医療を創ることが一つのカルチャーになるところまで持っていこうと考えている。
「生活習慣病は、人類が歴史の中で積み上げてきた医療体系が通用しない病気とも言える。医療を新しい時代にフィットするものに更新していくのを手伝いたい。医療の創り手として、誰もがプレイヤーになれる時代が来るのだから」

 武部貴則という人


「3年以内にトップ科学誌に論文を」。成功イメージからの逆算でつかみとった画期的発見


再生医療研究の最前線に立つ武部貴則(32)は、実にユニークなキャリアの道筋を歩んできた。横浜市立大学医学部で学んでいた武部は、卒業を間近に控えた頃、外科の修業で移植手術のメッカであるアメリカ・コロンビア大学に留学。移植手術で重篤な肝臓病を患う患者を救う得難い経験ができた一方で、ドナー不足で待機リストに載る多くの「救えない命」の存在を知り、ある種の敗北感も味わう。実際アメリカでは、年間で約10万人もの患者が、臓器移植を待つ間に亡くなるという現実がある。

「『大医』として万人を助けなさい」

帰国後、武部は決断する。
より多くの命を救う医療を実現するために、研究者としての道を歩もう——。
武部はかつて、外科医の傍ら研究を続ける先輩からかけられた言葉を思い出していた。
「僕は目の前の『1人』を診る。武部君は基礎研究者になり、『大医』として万人を助けなさい」
武部は医学部2年の頃から、横浜市大教授の谷口英樹(56)が主宰する「臓器再生医学研究室」に通っていた。谷口から出されたテーマは、「軟骨の再生」の研究。ここで基礎研究のいろはを学んだ。
その際、世話になったのが、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院で外科の修業を終えたばかりの小林眞司(55)だ。小林は現在、神奈川県立こども医療センターの外科部長で、夜な夜な実験に明け暮れる武部を横で見て応援してくれた恩人だ。
当時、小林が寿司屋に連れ出してくれたことがある。そこで「大医に」と助言された。研究に本腰を入れたいなら、目先のことよりも、もっとたくさんの患者を救えるような存在になって欲しいと。

臨床医としての道を捨てる

コロンビア大学の留学後、横浜市大の幹部からこんな誘いが待っていた。
「卒業したら、このまま(谷口研で)研究を続けてみないか。助手の席を用意する」
それは願ってもない好機であると同時に、苦渋の選択でもあった。イエスと言えば医学部卒業後、医師免許を取得した後に必要な2年間の初期臨床研修を受けられない。つまり医者の道を断念することになる。
基礎研究者として身を立てるにしても、2年間の初期臨床研修を受けてからというのが通常コースだ。多くの人は、せっかく医学部を出たのに医者にもなれず、研究者としても失敗したら食いっぱぐれる、と考える。だが、武部は逆の発想から決断に踏み切った。
〈臨床研修を経て博士課程まで終えたら、フルで研究できる時にはもう30歳。最もクリエイティブにものが考えられる時期を逃してしまう。挑戦するなら、今しかない!〉

成功イメージから逆算した3年の期限

挑戦しない選択のほうがリスクが大きいと思った
 周囲の誰もが止める中、臨床研修も博士課程もすっ飛ばし、すぐに研究の道に入ると宣言した武部の決断に、上司の谷口は舌を巻いた。武部の覚悟は、「3年で結果を出せなかったら、研究を辞めます」と念書を書いて提出してきたことからも伝わってきたと谷口は言う。
 武部に尋ねた。もし研究者として結果を出せなかったら?というリスクは考えなかったのか、と。
「僕はすごく楽天家なので、まず、すべてがうまくいった時にどうなるのかという自分を思い描く。その成功イメージを頭に置いて、その選択をしなかった場合のリスクを考えるんです。『やっぱり、あの時挑戦しておくべきだった』と悔やむ方がリスクじゃないかと。でも、漫然と研究をやっててもダメだなと。だからあえて、3年という期限を自分に課しました」
全力投球してみて3年間も取り組めば、自分がこの道でやっていけるかどうかの判断はできると。武部の中に、「自分で設けた期限の中で、自分でリスク判定をすればよい」という割り切りがあったのだ。
「すべては、自分が成功するという可能性からの逆算ですね。だからこそ、『3年で世界トップクラスの科学誌に論文を載せる!』というゴール達成にコミットしようという意識が生まれたんじゃないかと思いますね」

「無駄」をあえて取り入れる

鉄則から外れる研究法も厭わない。好きな言葉は、偶然から幸運をつかみ取る能力、と いった意味の「セレンディピティ」。

 この逆算の発想は、研究そのものにも生きる。
従来、再生医学の中でも臓器の研究では、「臓器→組織→細胞→分子→原子」とどんどん小さな単位に分解して理解していく、「リダクショニズム(要素還元主義)」に基づく考え方が主流だった。それは、きれいに証明ができて、再現もしやすい「ピュアな研究」と言える。
 だからこそ肝臓なら肝臓の細胞だけ、という風に、iPS細胞を純粋に成熟した細胞へ育てていく手法が採られていたわけだが、なかなか有効な細胞を作り出せていなかった。
武部の場合は真逆で、従来は無駄として排除されてきた「脇役」も含め、ミックスされた構造物を目指そうとした。その中で、臓器というものを網羅的に理解しようと考えた。それが、「ミニ肝臓」の画期的な発見につながった。無駄と思われていたものをあえて取り入れる手法は、今も武部の研究室では基本のスタイルだという。
「ミニ肝臓の研究は、当初は『汚い研究』と言われたんですよ。網羅的に理解するというのは、半分は人間がお膳立てをしつつも、半分は生物が本来持つ力に委ねるということなんですが、科学者の中には合理的に説明できない部分が含まれるのは許せないという人もいますから。
それに対し僕は、機能や細胞間の連携が複雑な臓器は、まるごと理解した方が問題解決の糸口が見つかりやすいと考えます。全部を理詰めで考える人たちが絶対考えないような視点を取り入れたいし、その方が彼らとの違いも生きると思ったんです」
独創性の高さから、医学部時代の友人には「ギアが1個違う」と言われる武部。だが、少年期には人生のあり方が反転するほどの苦い経験も味わった。(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、写真・鈴木愛子)

脳卒中で倒れた働き盛りの父。今の医療でカバーできない「生活を診る医学」の必要性

 再生医療研究者の武部貴則(32)は、アメリカで言うところの「Physician scientist(医学部出身の研究者)」だ。24歳にして「医者じゃない医者」となる大決断をした旨は、前回報じた。
 もともと医者の家系ではなく、「父はサラリーマン、母はパートのおばちゃんで、3つ上の兄はロックミュージシャン」だという。そもそも医学部を目指したのは、なぜなのか?
 自身がランドセルを背負った小学3年生の時の写真を、武部は今も大切に持っている。写真には、武部の小さな肩に手を回す、体の大きな父の姿。当時、父は働き盛りの39歳で、紺色の背広に身を包んでいる。玄関前の花壇脇でツーショットを撮影した少し後に、勤務先の近くで父は倒れた。脳卒中だった。
 「食事中に電話で父の報せを受けた母が、平静を装いつつ血相を変えて出かけていった場面は、鮮明に覚えています。しばらくして、面会謝絶の札がついている病室をのぞき込んだら、父はもう別人なんですよね。体はガリガリ。虚ろな目をして、身動きもできない状態で」

「わずか1割」の確率で生還した父

父が緊急入院してから、小学生だった兄と武部の面倒は、祖父母に委ねられた。母は半年間、父の病院の近くに寝泊まりして看病に明け暮れていた。
 母からハッキリした父の病状は聞かされていなかったので、当初は何が起きたのか想像もつかなかった。しばらくして病室を訪れた時、母は泣き崩れて子どもたちにこう言った。
 「お父さん、亡くなる確率は9割だって。生き残れたとしても、障害が残って普通の生活は送れないかもしれないって。ほんと、ごめんね」
 小3という多感な時期だけに、母の言葉は、かなり長いこと受け止められなかった。
 その時期手伝いに来てくれていた、祖母からはこう言われた。
 「いっぱい勉強して、大学で医学部に行くと、お父さんみたいな人がすぐ元気になるようになるからね」
 「今思えば、すごい刷り込まれていたな」と振り返って笑う。
 幸い父は奇跡的な回復を遂げ、大きな後遺症もなく社会復帰できた。倒れた現場が病院のそばだったこともあり、早い段階で治療できたことが功を奏した。
 だが、「もしもの時」の生活を想像すると、武部は今でもヒヤリとする。
「もし父が亡くなっていたら、僕は中学校以降はたぶん学校には行かなかっただろうと思う。今自分がこうして医学に携われているのも、あの時治療にあたってくれていた先生方がいたから。父の闘病から、医療で一人の命を救うことのインパクトの大きさを痛感しました」

患者家族から見えた「医学の抜け穴」

 父は、典型的な日本のサラリーマンだった。
 「将来は絶対にサラリーマンにはならないぞという感じだけは、僕も兄も共通して持っていましたね。父は毎日深夜まで馬車馬のように働いていましたし、高血圧を患っているのに、忙しすぎて病院にいく暇さえないような生活でしたから」
と武部は述懐する。父は奇跡的に回復したとはいえ、一度倒れれば、仕事の最前線からは外れざるを得ない。中途半端に回復すれば、社会福祉の恩恵もなかなか受けられない。
 「父は決してネガティブなことは口には出さないけれど、病気を経験してから職場や社会で、本人にとって大きなダメージになるようなことは、僕の想像以上にあったと思うんですね」
 武部は大学で医学部に進む上で、「父の闘病から『生活の課題』が見えたことが、得がたい経験になった」と話す。特に、現代病と言われる生活習慣病は、未病の段階にこそ「生活の課題」が山積している。
 「病院に来る前の『生活』の部分は、既存の医学の枠組みからすっぽりと抜け落ちた穴。父が病院にも通えないほど仕事に忙殺されて、処方されていた薬も飲めていなかった問題なんて、病院の中で医者が待ち構えていたって対処できない。病気を発症して、病院に足を運んでくれた人を治療するという、今の医学では絶対にカバーできない領域なんですよ」

医学そのものを再発明して再定義 

2019年頭、武部は自ら率いるラボの全員宛てに、年頭の所感を英文で送った。意識すべきは、「ZEROの価値を考えること」と。その意図を武部はこう語る。
 「ITで情報が行き渡る今の時代、誰でも論文が読めるし、即座に先端の知に触れられる。イノベーションを織物に例えると、確固としたもの、過去から変わらず積み上げ続けられている価値が縦糸で、うつろうものの価値が横糸。
 そうすると堅牢な縦糸に、いかに多彩な横糸を串刺ししていくかが勝負のしどころになる。大事になってくるのが、『そもそも、この縦糸でいいのか?』と立ち返る視点です」
 武部はこの「ZEROの思考」で、研究ばかりでなく、医療や医学そのものを再定義しようとしている。
 2019年3月には東京で開催された市民講座「六本木アートカレッジ」に登壇し、父親の闘病時のエピソードも交えて、自らが描く「次の医療のパラダイム」のビジョンを語った。
「うちの父は30代で脳卒中という重篤な病気にかかった。多くの疾患のプロセスは、20〜30年かけて進行する。血管がボロボロになり、出血しやすくなり……と徐々に病気になる。医学を学べば学ぶほど、病気になる以前に何か手を打たなければ、こうした病気は減らせないと思うようになりました」
「Medicine(医学)はDisease(病気)に対して科学しようという考え方ですから、そもそも未病の段階を診る体系って、医学部には存在しません。何かをするためには、医学を再定義して再発明をしていく必要があるんじゃないか。私はそう考えました」

生活を診る社会の“仕掛け”

実は武部、この医学の再発明のアイディアは、医学部に在籍していた頃から発信し続けている。再生医療研究に身を投じる武部にとってはもうひとつのライフワークとも言える、「広告医学」という新しい学問だ。
 2018年には横浜市大に「コミュニケーション・デザイン・センター(YCU−CDC)」を設立した。デザインやコピーライティングなどの広告の手法を使いながら、未病の段階で、生活する人々の行動を自然に変えて健康につなげるコミュニケーションを研究している。
 これからは、「生活を診る社会の“仕掛け”」がますます必要になると武部は言う。コミュニケーションの工夫を凝らすだけでも人々に行動の変容を促せることは、広告医学のアプローチで実施したさまざまな実証実験でも証明済みだという。
「例えば高血圧には減塩が大事と、専門医から10枚以上の説明書を渡されても、誰も読む気がしない。けれど、経験豊かな医師が、100円ショップでも買えるスプレーボトルを案内して、『こういうのを使うと、醤油を使う量が1日1gぐらいすぐ減らせるし、血圧も下がる。おまけに酸化還元反応で芳ばしい香りとともに食事がいただけます』と言ったらどうでしょう?その方がインパクトが大きいと思いませんか?」
未病の段階から人々に行動の変容を促すために、武部はどんな“仕掛け”を打ち出しているのだろう?

再生医療新時代を築く研究者・武部貴則。26歳で「ミニ肝臓」作った自由な発想

26歳にして世界に先駆け、iPS細胞を使って「ミニ肝臓」を作ることに成功した。2013年、英国の科学誌『ネイチャー』に論文が掲載され、世界で大きな反響を呼んだ。
 このミニ肝臓を「第1世代」とするなら、 先ごろ発表した「免疫細胞を加え肝炎の状態を再現したミニ肝臓」というのが「第2世代」。これは、iPS細胞やES細胞から作った“臓器”で病気を再現した世界初の快挙で、オーダーメイド創薬などへの応用が期待されている。この成果を自身の研究グループがまとめた論文が2019年5月、米科学誌『セル・メタボリズム』に掲載された。
 さらに「第3世代」へと進化させたのが、肝臓・膵臓・胆管・腸という4つの臓器を一体として再生する“多臓器再生”。この研究も、2019年9月、『ネイチャー』に掲載され脚光を浴びた。
 研究成果は、年単位どころか「月単位」で国際的な科学誌に次々と掲載されており、常に新しいパラダイムを築き続けている。


見逃さなかった「モコモコ」

再生医療研究の最先端をひた走る武部貴則(32)の日常は目まぐるしい。現在、ミニ臓器をアップデートする基礎研究をアメリカで、基礎を応用につなぐ研究を日本で展開している。
 一連の「ミニ肝臓」研究の入り口となった発見は、横浜市立大学医学部を卒業後、助手になったばかりの駆け出し時代に試した実験から始まった。
 肝細胞になる前の細胞と、血管になる前の細胞、組織をサポートする細胞という3種類の細胞をあらかじめ準備し、シャーレ(培養皿)上で混ぜ合わせることにより、立体的な構造を持ち機能する「臓器」を作り出したのだ。
 武部はシャーレ上に紐状に集まる「モコモコした」5ミリほどの細胞のかたまりを見逃さなかった。
「周りの人はみんな、『ゴミだ』『カビだ』と言っていました(笑)」

「ズレ」と「ブレ」のマネジメント

4年前からは米オハイオ州にあるシンシナティ小児病院准教授を務めている。シンシナティの武部ラボ創設に関わった研究者らはこう話す。まるでメジャーリーグの契約交渉のように、武部には複数の研究機関からオファーがあり、交渉を重ねて選び取ったポストなのだと。
 2018年は31歳という若さで東京医科歯科大学と横浜市立大学の教授(ともに史上最年少)に就任したことが話題になった。さらにiPS細胞技術の製品化を見据え、京都大学iPS細胞研究所と武田薬品工業の共同研究プログラム「T−CiRA」の研究責任者にも就く。30歳そこそこで日米に4つのラボを構える研究室主催者(PI:principal investigator)なのである。
 武部を野球選手にたとえるなら、場外弾を放ち続けるホームラン打者。かつ、多様な選手を上手に活かす名将でもある。いわゆるプレイングマネージャーだ。医学、生物学、化学、工学、薬学……といった多分野にまたがる境界領域を扱う再生医療研究は「チーム戦」である。
 そのチームを編成するとき武部は、採用する人材の専門性をあえて「ズラす」。
「チーム作りに欠かせないのは、『ズレとブレ』。ズラしたマネジメントのもと、ブレる指示で撹拌(かくはん)することで、連続的な創発や面白い発見が生まれてくる。出てきた発見は、パッとつかまえる」

基礎研究ラボなのに「グーグルみたい」

研究員の木村昌樹(38)は、トータル11人が在籍しているシンシナティの武部ラボでも古株にあたる。木村の証言からも、武部のユニークな采配ぶりが伝わってくる。「僕らは先生の攪拌によっていい感じに触発されて、アイディアを出しやすい」という。
 実務を担う研究員は、基礎生物学、細胞生物学といった専門性の殻に閉じこもって、他分野に疎くなりがちなのだが、そこに常識を超えたところから「変化球」を飛ばしてくるのが武部なのだと。木村は職場の様子を楽しげにこう話す。
 ラボでは肝臓の細胞を構築する際、実験道具を独自に作ることもある。ある時、武部が「液性磁石という面白い素材があるんだけど、実験に使えない?」と提案してきたことがあった。ラボの共有メールに貼り付けられたリンク先はYouTubeの動画。
 「『あ、僕らのラボって、YouTube見てても怒られないんだ』って(笑)」
と木村は振り返る。逆に言えば、そのぐらい通常の研究室は“窮屈”ということか。
 「武部先生の情報アンテナはカバーする範囲が広いばかりじゃなく、感度がめちゃくちゃ高いんです。日本の基礎研究者って、一つのものを突き詰めるのが正義で、積み重ねの延長線上でものを考えがちなんですが、武部先生の場合は、発想の仕方に垣根がない。だから時々思うんですよ。僕らの職場の働き方って、グーグルみたいだなと」

注目の再生医療に残る課題

 これまで医療現場で行われてきた臓器移植は臓器そのものを“まるごと”移植するという方法だった。だがその場合、「圧倒的なドナー不足」という壁があった。
 武部の脳裏には、大学卒業前に留学したアメリカのコロンビア大学移植外科での光景が刻み込まれている。
「リストには臓器移植待機者の名がずらっと並んでいて、重症度の高い患者は『間に合わない』とリストから外されていくんです。命を救いたいと移植外科の門を叩いたけれど、これが現実かと思いました」
そんな背景から、臓器移植に替わる治療の手段として、あらゆる細胞に分化できる「ES細胞」や「iPS細胞」を使う再生医療に世間の注目が集まる。
 しかし、そこにも新たな課題があった。細胞を平面的なパーツとして増やすことはできても、立体的な臓器の形にできない。臓器はいろいろな種類の細胞が集まってはじめて機能するのだが、肝臓なら肝臓だけ、と1種類の細胞だけを増やして移植しても、再生医療として治療に使えるレベルにはなかなか到達できないのが現状だ。

生物の未知なる力に委ねる

ところが、武部がiPS細胞を使って発見したミニ肝臓は画期的だった。1つひとつはμm単位の小ささながら、立体的な構造体をなし、おまけに代謝など肝臓の機能をきちんと発揮する。
 このミニ肝臓を使うと、今までとは全く違う“コロンブスの卵”のような発想で、病気で失われた肝臓の機能を補うことができる。シャーレで増やした多数のミニ肝臓を、病気になった肝臓の周りに移植し、生体内で成長させるのだ。
「僕らの考え方は、バイオロジー的な感覚に近い。臓器の『芽』ができる初期段階までは培養して、それを病気がある人の体内に移植する。そこから芽を出し、人の体が本来持っている力を借りて成長してもらいましょうと。初期設定としてある程度のお膳立てをした後は、生物の未知なる力に委ねる」 
「でも、こういう考えって、最近でこそ受け入れられるようになってきましたけど、反発されることもありました。僕はもともと、前提のないところからものを考えるタイプ。前提に寄りかからないところから新しい地平が見えてくることってあると思うんですよ」
見た目には柔らかな印象の武部だが、周囲の無理解や反発も意に介さない。そんな反骨精神の持ち主だというのがインタビューから伝わってくる。(敬称略・明日に続く)

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